1カラットの奇跡 第一話 奇跡を売る女(1)
高らかと踊り歩いているファンファーレの音色は、大衆の夢と希望を乗せていた。鮮やかな緑が映える絨毯の上では、乙女達がダイヤのような馬体を輝かせていた。桜の香りも、その毛並みを揺らしている。偉大な母の無念な願いは、その娘へと継がれていた。そして、熱き想いの旅立ちを、その娘は静かにゲートの中で待っていた。
ガシャという味気のない金属音が響いた。跳ねるように、馬達はゲートから飛び出している。だが、その娘は出遅れた。一番人気の鎧が重いようだった。そして、芝の上では、どよめいた津波が這っていた。
その光景を見ていた佐藤和也は、眉を顰めて大きく溜息をついていた。桜木町WINSの床も震えている。そして、レースの続きを淡々と流しているモニタ画面を、彼は見守った。
一分半のドラマのクライマックスは、瞬く間に訪れていた。まだ、その娘は馬群の後方にいた。人々の歓声は、そろそろ、その娘へ鞭を打ち出している。しかし、最後の直線の坂下で、馬群の前方から、二頭の馬が先に抜け出した。
和也は、そこから早くという目で、その娘を見つめている。そして、彼の隣に立っている同僚の福山浩二が、大声を出した。
「うぉーし。そのまま、そのまま!」
しかし、和也は大きな眼差しで堅く口を閉ざしており、その娘を見つめ続けた。
その娘へのファンの声援は、悲痛な叫びに変わっていた。しかし、それまでの鎧を、その娘は脱ぎ捨てた。その娘は脚の羽を使い出した。そして、芝生も道を切り開いていた。大外を一気に、その娘は駆け抜けて、先頭の二頭に迫っていた。音のように。
その蹄の響きは、和也の青いチェックのポロシャツから湯気を出させていた。そして、右手に丸めた競馬新聞を頭の上で大きく振って、和也は叫んだ。
「ヨッシャー。サセ、サセ!」
天井の光は、日差しのように暑くなっている。モニタの後ろの壁も、大きな振動を抱えていた。
脚が折れるように、その娘は緑の道に蹄を叩きつけている。次の一伸びで、前の二頭を交わすような勢いだった。しかし、そこがゴールだった。
桜は散った。
だが、その娘の目には、まだ闘志の炎が燃えている。必ず借りは樫で返すと。呟いているように。馬場の上には、静寂が広がっている。そして、落胆の津波が押し寄せた。
その波は、和也の肩を大きく落とさせている。周りの親父達も、大半は彼と同じポーズをしていた。しかし、浩二は彼の周りで右手の馬券を高く上げて踊り出した。
「やった~! 佐藤さん、これ見て下さい。桜花賞GETですよ。千円が十一万!」
浩二は和也より背が高い。スタイルも、すらりとしたモデルのようで、人込みの中では良く目立つ。しかし、それが仇となり、親父達の冷たい視線は彼を刺していた。
万馬券のときは、ほんの僅かな者が、大部分の人達から金を巻き上げる。浩二の大声は、それを名乗り出るようなもので、殺されても文句は言えない。
だが、若い女性客達の目は潤んでいた。黒いよそ行きのブレザーと皮ズボンで決めている浩二は、女性の視線を集め易い。顔もイケメン風とくれば、尚更だった。
ところが、そんな浩二でも、それまで何故か、女運に恵まれたことはなかった。
勿論、その傍で落胆している冴えない和也は、三十を過ぎてからは、三年以上も無いに等しい状態だった。それに、所々シワのあるジーンズの彼に、女性客が視線を与えるはずもない。そもそも、彼女が居たら、毎週こんな場所で、二人はつるんでいなかった。
和也は浩二の喜んでいる姿を見て閃いた。すると、急に表情が明るくなって、彼の背中を一回大きく叩いた。
「ヨッシャー、浩二のおごりで、大豪遊だ。六本木、赤坂、いや待て、堀の内、吉原だ!」
「佐藤さん、勘弁して下さいよ。先週、大負けしたから、まだマイナスです」
浩二の顔は曇っていた。
「アホッ! 今日は大プラスだ。細かいことを言うな! 大きな男が小さく見えるぞ。あっ、でも、あれは小さかったなあ。まあ、気にするな」
浩二は少し腹が立って踊りを止めた。そして、上目遣いで和也を睨んでいた。しかし、先輩の和也を怒る訳にはいかない。皮ズボンの前に軽く目をやって、彼はトイレに向った。
あれが小さいのは、浩二も自覚することだった。わざわざ、人に言われなくても良い。そのおかげで、女とは、何時も長続きしなかったからだ。
ガシャという味気のない金属音が響いた。跳ねるように、馬達はゲートから飛び出している。だが、その娘は出遅れた。一番人気の鎧が重いようだった。そして、芝の上では、どよめいた津波が這っていた。
その光景を見ていた佐藤和也は、眉を顰めて大きく溜息をついていた。桜木町WINSの床も震えている。そして、レースの続きを淡々と流しているモニタ画面を、彼は見守った。
一分半のドラマのクライマックスは、瞬く間に訪れていた。まだ、その娘は馬群の後方にいた。人々の歓声は、そろそろ、その娘へ鞭を打ち出している。しかし、最後の直線の坂下で、馬群の前方から、二頭の馬が先に抜け出した。
和也は、そこから早くという目で、その娘を見つめている。そして、彼の隣に立っている同僚の福山浩二が、大声を出した。
「うぉーし。そのまま、そのまま!」
しかし、和也は大きな眼差しで堅く口を閉ざしており、その娘を見つめ続けた。
その娘へのファンの声援は、悲痛な叫びに変わっていた。しかし、それまでの鎧を、その娘は脱ぎ捨てた。その娘は脚の羽を使い出した。そして、芝生も道を切り開いていた。大外を一気に、その娘は駆け抜けて、先頭の二頭に迫っていた。音のように。
その蹄の響きは、和也の青いチェックのポロシャツから湯気を出させていた。そして、右手に丸めた競馬新聞を頭の上で大きく振って、和也は叫んだ。
「ヨッシャー。サセ、サセ!」
天井の光は、日差しのように暑くなっている。モニタの後ろの壁も、大きな振動を抱えていた。
脚が折れるように、その娘は緑の道に蹄を叩きつけている。次の一伸びで、前の二頭を交わすような勢いだった。しかし、そこがゴールだった。
桜は散った。
だが、その娘の目には、まだ闘志の炎が燃えている。必ず借りは樫で返すと。呟いているように。馬場の上には、静寂が広がっている。そして、落胆の津波が押し寄せた。
その波は、和也の肩を大きく落とさせている。周りの親父達も、大半は彼と同じポーズをしていた。しかし、浩二は彼の周りで右手の馬券を高く上げて踊り出した。
「やった~! 佐藤さん、これ見て下さい。桜花賞GETですよ。千円が十一万!」
浩二は和也より背が高い。スタイルも、すらりとしたモデルのようで、人込みの中では良く目立つ。しかし、それが仇となり、親父達の冷たい視線は彼を刺していた。
万馬券のときは、ほんの僅かな者が、大部分の人達から金を巻き上げる。浩二の大声は、それを名乗り出るようなもので、殺されても文句は言えない。
だが、若い女性客達の目は潤んでいた。黒いよそ行きのブレザーと皮ズボンで決めている浩二は、女性の視線を集め易い。顔もイケメン風とくれば、尚更だった。
ところが、そんな浩二でも、それまで何故か、女運に恵まれたことはなかった。
勿論、その傍で落胆している冴えない和也は、三十を過ぎてからは、三年以上も無いに等しい状態だった。それに、所々シワのあるジーンズの彼に、女性客が視線を与えるはずもない。そもそも、彼女が居たら、毎週こんな場所で、二人はつるんでいなかった。
和也は浩二の喜んでいる姿を見て閃いた。すると、急に表情が明るくなって、彼の背中を一回大きく叩いた。
「ヨッシャー、浩二のおごりで、大豪遊だ。六本木、赤坂、いや待て、堀の内、吉原だ!」
「佐藤さん、勘弁して下さいよ。先週、大負けしたから、まだマイナスです」
浩二の顔は曇っていた。
「アホッ! 今日は大プラスだ。細かいことを言うな! 大きな男が小さく見えるぞ。あっ、でも、あれは小さかったなあ。まあ、気にするな」
浩二は少し腹が立って踊りを止めた。そして、上目遣いで和也を睨んでいた。しかし、先輩の和也を怒る訳にはいかない。皮ズボンの前に軽く目をやって、彼はトイレに向った。
あれが小さいのは、浩二も自覚することだった。わざわざ、人に言われなくても良い。そのおかげで、女とは、何時も長続きしなかったからだ。
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