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ルビーの気まぐれ 第九話 北の国から(1)

 道玄坂の通りはクリスマスのデコレーションで飾られていた。週末には本番が迫っており、商店街も気合を入れて派手な電飾で雰囲気を盛り上げている。月曜の朝の空はグレー一色で透き通った風が吹き抜け、雪でも降り出しそうなくらいに手がかじかんだ。
 白い息で手を暖めながら、美奈子は会社の扉を開け、思わず立ち止まった。頬を緩め笑い出す。天井の蛍光灯から、紫のチェックの上着がハンガーで吊るされたように垂れていた。何でそんなところに掛けてあるのだろうと、美奈子は首を少し傾げた。良く見ると、ご丁寧に上着の下からはスーツのズボンまで下がっていた。
 開いたままの扉から冷たい空気がすうっと流れ込んだ。風は上着を僅かに揺らしている。回転オルゴールのように音を立てながら、紫のチェックはゆっくりと回り始めた。
 美奈子は吸い込んだ息をはっと止めた。胸の中の一つ一つの細胞が凍りつき、吐き出すことが出来なかった。笑っていた腹筋もつり、心臓が止まってしまうくらいに全身に電撃が走る。尻餅をつくように、美奈子は顎を外しながら床に崩れ落ちた。
 血の気の引いたオヤジの顔が紫のチェックの上に浮いていた。白いロープが首から蛍光灯の縁にぴんと伸びている。眉をつり上げ、剥き出している目玉は浮世を楽しんだ顔ではなかった。
 床にべったりと座り込んだ美奈子は、そのままオヤジの目玉を見ているしかなかった。腰に力が入らず動けなかった。顔を背けようにも首の自由が利かない。せめて目を閉じるだけでもと、眉に張りついた瞼に力を入れた。でも、目玉は視界から消えなかった。
 美奈子はヤバッと顔を火照らした。ショーツからひんやりとした水の感触が伝わってきた。尻餅をついた拍子にやったらしい。早く化粧室に逃げ込まなければと焦る。でも、体は言うことを聞いてくれなかった。
 クリスマスの予定を楽しそうに話している渚と沙織の声が廊下から聞こえてきた。美奈子の背後で二人の足音が止まった。
「伊藤さん、何やってるんですか?」
「なんか変な匂いしない?」
「オ、オシッコですか?」
「やだー、美奈子。女として終わってるって!」
腹から噴出すような大声で、渚は笑い出した。沙織も鼻を鳴らすような声を漏らした。
 素焼きにされている壷のように美奈子の全身は熱くなった。おかげで体を動かすパワーが生まれた。天井からぶら下がっているオヤジを、美奈子は力強く右手で指さした。
 二人の笑い声はぱたりと止まり、息をする音さえも聞こえなかった。床にへたれ込む気配を感じ、アンモニアの匂いがより強く辺りを漂い始めた。二人は仲間になったと美奈子は安堵した。
 少しすると、川村が漸く出社してきた。
 美奈子は迷わず川村の胸の中へ飛び込み顔をうずめた。それまでの堰を切らしたように大声で泣き出した。
 涙を流しながら、渚と沙織も川村に抱きついた。
 川村は困惑した表情を浮かべ、鼻をつまみながら辺りを眺めていた。事情を飲み込んだ川村は三人を振りほどき、オヤジの前へ出て、息を切らしながら立ち止まった。両手で静に合掌をし、頭を垂らした。目を潤ませながら、川村は警察へ電話をかけた。
 オヤジの机の上には、白い封筒が置いてあった。中の便箋には、土曜の朝に社長の父親が脳梗塞で急逝し、事業を続ける心の支えを失ったこと。銀行の借金を返す目処もなく、疲れたことが走り書きで綴られていた。
 体が動くようになった美奈子は、給湯室で汚れた赤いショーツを静かに洗い、壁際の手すりに干していた。
渚も沙織も後に続き、渚の黒と沙織の水色のショーツが、肩を寄せ合うようにひっそりと手すりに並んだ。
ぼうっと自分たちのショーツを狭い給湯室の中で、三人は暫く見つめていた。そうすることで、リアルな空間から逃げ出し、発狂しそうな頭をなだめていた。
 五人の警官が街のクリスマスの風を持ち込むようにやってきた。フラッシュを切る音や笑い声で、部屋の中は騒がしくなった。干してあるショーツを眺めながらにやりとした警官に、美奈子たちは廊下へ追い出された。足元を通り抜ける風は静で寂しく惨めだった。
 昼過ぎには警察も引き上げ、窓からの日差しで満たされた室内はいつもと変わらぬ空間だった。ショーツをしまって帰ろうと、三人は給湯室に戻った。でも、ショーツは一枚もなかった。
 何て警官だと、三人は目をそろえて手すりを睨んだ。でも、取り返しに行くほどの気力はなく、肩を落としながら会社を引き上げた。
 道玄坂の電飾は昼からでも輝いていた。トナカイの着ぐるみも所々でチラシを配っている。でも、膝元を抜ける風はやはり心細く、クリスマスの模様は美奈子の目には入らなかった。歩道の向こう側で踊るサンタクロースに混じり、美奈子を見つめる黒いローブの魔術師の姿にも気づく余裕はなかった。

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テーマ : オリジナル小説
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