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1カラットの奇跡 第三話 夕日のダンスタイム(4)

 その週の金曜日の朝は、また小雨が降っていた。そして、和也はその一日を何とかやり過ごして、早く週末の競馬を楽しみたかった。何故なら、春のクラシックも、いよいよ終章だった。そして、樫の女王決定戦、オークスは見逃せないからだ。そう思っている和也は、紺系の縞のスーツで軽快にマンションを出た。
 お決まりのカフェ喫茶に、和也は着いていた。しかし、その場所に入ることが、彼には何故か気が重かった。彼は、その頃、くつろぐゆとりを、その場所で感じていなかった。少し溜息をついて、何時ものシナモンとラテをトレイに載せた和也は、テーブルへと向った。
そして、そこには右手を振って、「おはようさんです」と、目を潤ませて、微笑んでいる裕子の姿があった。それが、その頃の和也の悩みのタネだった。彼は、あまり気乗りのしない挨拶をして座った。
 夕日のダンスの翌週から、裕子も毎朝、そのカフェに姿を現すようになっていた。しかも、和也より必ず先に来て、キャラメルラテを飲んで待っている。
和也は、それまでと同じようにシナモンを齧って、マルボロを吹かした。そして、淡々とスポーツ紙の競馬欄を見ていた。
裕子も黙って、じっとそれを楽しむように見守っている。時折、彼女は和也のスーツの糸くずを払って、ネクタイが曲がっているとか、髪が乱れているとかを、口に出して嬉しそうに笑っている。どことなく、彼女は女房気取りのようで、積極的に自分の存在をアピールしていた。
 最初の一回だけのデートで、裕子の心は全開になっていた。まるで、デビュー戦の新馬が、ゲートから飛び出して全速で走り出す。そして、ゴール前で失速するような勢いだった。
若者の恋は、往々にしてそのパターンにはまる。何かと突っ走って、すぐに前へ前へと進みたがる。手綱を引いても止まらない。溜めがないので、すぐに息が切れて、短い期間で終わる。
裕子は、厳格な父の敷いた女子校の道を歩んだ。その会社に入社したのも父のコネだった。学生時代は異性との交際など、勿論、厳しい父の目が光っており、機会も何度か潰されて、ゲートにすら入れなかった。それが、漸くのデビュー戦だった。
 しかし、歳を取るといくぶんズブクなり、なかなか最初から飛ばすことは出来ない。どうしても溜めが必要で、前半戦は後方待機になる。長距離の道中の駆け引きも、味わい深く捨てがたい。ゆっくりとした流れを楽しむようになる。何よりも、勝負所での仕掛けのタイミングが面白い。早くても遅くてもゴールまで届かない。それが、大人の恋愛だった。
それに、和也には、準備が出来ていなかった。長い放牧明けのレースのようで、体が絞れていなく動きも感覚も鈍かった。十分なウォーミングアップがもう少し必要で、まだ走り出すのは早いような気がしていた。
 和也が無言でラテを飲んでいた。しかし、裕子は馬の名前やレースの名前を言い始めていた。彼は競馬の話題となると耳を傾けない訳にもいかない。彼は自然に、その馬に纏わる物語や、そのレースの名勝負の話を語り出していた。
裕子は、それまで競馬などやったことはなかった。しかし、和也の興味を引く話題作りの為に、その頃、本を買って勉強をしていた。何でも良いから、彼との会話を成立させたかった。
裕子は興味深そうに和也の話に聞き入っている。彼女は目を細めて笑っていた。彼も自慢気に語って、少し満足をしていた。傍から見ていると、仲の良いカップルが会話で盛り上がっているようだった。そして、彼は彼女のペースに自然とはまっていた。

 その日の五時を過ぎていた。女達は化粧室に集まっている。理恵は、鏡に向って念入りに化粧を替えていた。彼女は、また合コンだった。
そして、少し遅れて、裕子が現れた。
「先輩も行きますか。この前の、うちのダサイ連中と違って、若いお医者さん達で、超素敵なのですよ。理恵、気合入れて行きます!」
「あっ、理恵ちゃん。私は、辞めておきます。もう、合コンには行かないことにしたの。お付き合いをしている人がいるのです」
「え~、マジですか。誰、誰ですか。何時、何時からですか」
理恵は興味津々に裕子の顔を覗いた。
裕子は頬を赤らめて自慢気に、
「和也さんです。ほら、この前に、一緒だった人です」
「あっ、あの怖そうで、喋り難そうな人ですか。信じられない。でも、浩二さんと仲間でしょう。気をつけないと、すぐにHなことをされますよ」
「大丈夫です。和也さんはそんな人ではありません!」
 裕子は少し腹が立っていたが、和也のことを嬉しそうに語っていた。夕日のダンスのことも、毎朝カフェで会って、一緒に出社していることも、彼との出来事を全て話していた。そして、翌々日の日曜日には、二人で府中へオークスを観戦することも打ち明けた。彼女は、誰かに自分の恋の物語を話したかった。それを喋り、その反響で何倍にも増幅されて返ってくる幸せを楽しみたかった。
理恵は、羨ましそうに話を聞いて、途中で茶化して冷やかして、半分遊んで楽しんでいた。そんな二人の笑い声は、化粧室中に響き渡っていた。
 話が終わって、二人は居なくなった。そして、個室で全ての話を聞いていたお局様が、苦虫を殺したような顔で洗面台の前で立っていた。彼女は赤い紅を取り出して、『裕子許さない』の文字を鏡に力強く書いていた。彼女は、その紅をゴミ箱に叩きつけた。そして、化粧室を出た。

 和也は、まだ部屋で仕事をしていた。そして、浩二も一緒に仕事をしている。
 何故なら、前月、クライアントにプレゼンしたシステム開発を、受注したからだった。その頃、和也は仕事でも運が回復し始めていた。と言っても、一年前に納入したシステムの改造で、操作仕様の改善と消費税関連の法改正の対応だった。だが、その頃のご時世を考えれば、仕事が貰えるだけで幸せだった。
 和也は、操作仕様の改善の仕様作成を浩二に頼んでいた。
 浩二は彼の容姿と同様に、仕事でもビジュアル的なところが得意だった。彼の画面設計は見栄えが良く、ユーザ受けをし易かった。彼はSEというよりは、デザイナー的な仕事の方が向いていた。
 浩二に比べて和也は、画面の設計よりは内部的な処理の設計が得意だった。それ故に、仕事では良いパートナーとして、二人は一緒に仕事をすることが多かった。
 和也は真剣にパソコンに向い、内部処理の変更仕様を書いている。消費税の計算手順を細かく検討していた。それは、法改正に対応する為に、消費税の表示は総額表示に変更する必要があったからだ。特に、それまで、外税で扱っていた帳票は、全ての仕様を変更する必要があった。彼は細心の注意を払って、仕様書を書いていた。
室内のテンポ良いキーのサウンドは、彼の仕事の効率を上げ、気分を乗せている。あと一時間もすれば、書類は仕上がる。そうすれば、心置きなく週末を過ごせる。そう彼は思って、めずらしく残業に励んでいた。
 その気分をぶち壊すように、般若面の形相をしているお局様が、部屋に凄い勢いで現れた。彼女は、その顔で和也に近寄った。その顔は、絵的には辛く厳しかった。
それをドアップで見ていた和也は、自然に仰け反っていた。
「わっ、何だ! 何の用だ。俺は、仕事中だぞ。邪魔をするな!」
「佐藤様。裕子とお付き合いをしているのは本当でしょうか。夕日でダンスをなさり、毎朝一緒に出社しているのは本当でしょうか。あさっては、デートをなさるのでしょうか?」
 お局様は、大声で和也に質問をしている。フロアーに残っていた半分位の社員全員が、彼の机の周りに耳を集中しており、笑いを堪えていた。
「おい、何でお前がそれを知っている。俺のプライバシーだ。しかも、声が大きすぎる。それに、お前には関係の無いことだ!」
「いいえ、関係がございますわ。私には、重大な問題です。どうか、聞かせて下さい」
 お局様は、白いハンカチを口で噛んで和也に迫っていた。彼はその迫力に押されていた。まるで、刑事が自白を迫るようだった。
「彼女と付き合っている訳ではない。ダンスはバイクの乗り方を教えただけ。朝は、たまたま同じ時間になるだけ。あさっては、デートではなく、オークスの勝負だ! 分かったら、引き上げてくれ。俺には、まだ仕事がある!」
 それを聞いたお局様は、安心して満足して戻った。
和也の机の向こう側で、浩二は腹を抱えて笑っていた。
「浩二! 笑い過ぎだ」
「いや~、佐藤さんは二股ですか。さすがですね」
浩二はまだ腹を抱えている。
「馬鹿者! 少なくとも、あの女に手を出す勇気は、俺にはないぞ! お前にくれてやる。さっさと、持って行け!」
「わっ、勘弁して下さい。俺にも勇気はありません。でも、裕子ちゃんなら遠慮なく頂きますよ」
「いや、それはダメだ」
「でも、付き合っている訳ではないのですよね。何も問題は無いですよ」
「うるさい! 早く仕事を終わらせろ。それ、あと三十分で提出だ!」
 和也は気を取り直して、仕事を再開した。皆は裕子のことを知った。それで、彼は動揺をしていた。そろそろ、気持ちをはっきりさせないと不味いと彼は思っていた。しかし、どうもまだ踏み込む勇気が湧かなかった。やはり、少し距離を置いて、様子を見ることを彼は考えた。

 翌々日、和也と裕子は鮮やかに飾られた府中の東京競馬場の正面ゲートを通っていた。オークスの日は、女性は入場料が半額だった。
場内は、女性客も多くお祭りのようだった。イベントのような舞台も組まれていた。天気は晴れて、パンパンの良馬場だった。
 二人はパドックに向った。裕子は、初めて馬を生で見て驚いている。兎に角大きいと彼女は思った。TVで見るイメージよりも大きかった。バイクとは大違いだった。腰を掛ける所は、直立した人の頭の上にあった。綺麗な目をしており、全身も光っていた。そして、彼女は、ペットで庭に置いても良いかもと思った。
 お昼になって、二人は人込みの中を、芝生席を確保して弁当を広げていた。その前よりも品数が増えている。やはり裕子の弁当は美味いと和也は思った。
 そして、メインのオークスを迎えていた。和也は、桜と同じ馬を買っている。裕子も彼の勧めで同じ馬を買った。

 格調高きファンファーレの波動は、観衆に夢の記憶を蘇らせていた。緑の香りは、日差しを吸って膨らんでいた。乙女達も、人々の願いを浴びて、その身を大きくしている。
 成長した娘は、再び樫の舞台に戻っている。桜の借りを返す為に。その冠だけは譲れなかった。それは、偉大な母も頭に乗せていたからだ。そして、その娘は静かにその時を待っていた。
 希望を乗せてゲートが開いた。馬達は綺麗に飛び出している。しかし、その娘は、出遅れていた。その身が重すぎたようだった。ターフには、溜息が吹いていた。ゆっくりとしたペースで、馬群は縦長に流れた。

 和也は、またかと苦い表情をしていた。そして、裕子は涙目の視線で、その馬を見守る。

 淡々と馬群は、四コーナー手前の欅の向こうを通っている。その娘は、まだ馬群の後方にいた。歓声は、息を止めて静かに動きを見守る。

 二人の視線は、その娘を静かに見つめていた。裕子は、自然に和也の手を握っている。そして、彼も力を入れた。

 最後の直線の坂下で、馬群は横一線に広がった。その娘も大外に寄っていた。だが、馬群から遅れている。
 馬群の前方では、熱い叩き合いが繰り広げられていた。その娘のファンは、声を上げるタイミングを待っている。
そして、その娘の瞳は燃え上がった。しかし、その娘が跳ね上げている緑の土は、宙を舞っている。溜息が抜けるように。ゴールは、遠かった。
 樫は幕を閉じた。
 その娘は下を向いている。灯火はその瞳から消えた。だが、観衆は声援を送っている。秋には必ずと。
その娘は顔を上げて嘶いた。そして、ターフを静かに、また歩き出していた。

二人は肩を落としていたが、その馬に仲良く手を繋いで声を掛けていた。
こうして、晴天の下で、のどかな一日が瞬く間に過ぎ去っていた。競馬の成績は、何時もと変わらなかった。しかし、和也と裕子の関係は、かなり近づいた。
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