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1カラットの奇跡 第十話 ペンダントよ、青く光れ!(5)

 その日は仕事納めだった。街を流れているサラリーマンの顔には笑顔が溢れていた。しかし、和也の顔は固かった。それは、最後の勝負の時刻が刻々と迫っていたからだ。
和也は、朝から殆ど仕事をしなかった。彼は壁の時計を見つめて長いカウントダウンをしていた。
和也の準備は完璧に殆ど終えていた。飛行機やレンタカーの予約は無論だった。西海橋のホテルのロイヤルスイートを押さえて、朝のヨットでのモーニングクルーズのオプションも付けていた。そして、優希の機嫌を取る必需品の先兵。ピーさんのぬいぐるみも、彼の鞄の中に納まっている。彼は頭の中でイメージトレーニングを何回も繰り返していた。
 十四時を過ぎて、和也は大掃除を始めていた。と言っても、彼は椅子に座って腕を組んで浩二と高志に指示をしているだけだった。
 二人はぶつぶつと文句を言っていたが、素直に机の上に立って蛍光灯を外して雑巾で拭いていた。
 和也は、二人の姿を見て顔を広げていた。そのとき、彼の携帯からダイヤモンドが流れた。その着信表示は、以外にも豊美からだった。その大事な日に、また女難の相かとモテル男は辛いと彼はさらに顔を広げた。そして、ベランダへ歩いて電話を取った。
「豊美です。大変なの」
豊美は切羽詰った声を出していた。
しかし、和也はクールに突き放して、
「何だ。俺は、今日は忙しいのだ。手短にしてくれ」
「優希が、車に跳ねられたの。お昼ごはんの帰りよ。今、救急車で運ばれて、一緒に病院に居るのよ」
豊美はパニック気味になっている。
和也は驚いて顔が縮まった。
「それで、大丈夫なのか」
「それが、かなり悪いの。意識は殆どないわ。手術室に運ばれたの。でも、うわごとで、貴方の名前を何回も呼んでいたわ。それに、指輪をはめてと、ときどき、口に出していたの。何でもいいから、早くこっちに来てあげて」
豊美は泣き出していた。
「分かった。病院の場所を教えてくれ」
 和也は血相を変えた顔で部屋に戻った。彼は慌てて机の下に置いてある荷物を抱えている。そして、走って部屋から出た。
 それを見ていた浩二と高志は、目が点になっていた。そして、掃除を止めて席に座って大きな伸びをした。

 その日の夜八時頃、和也は佐世保市内の大きな病院の駐車場に着いた。そして、彼は長崎空港で借りた白いレンタカーから降りて病院のロビーへ急いで走っていた。
その辺りは、冬の海の底のように冷たい闇で包まれていた。そして、赤い星は弱々しく点滅をしている。その灯火は、すぐに消えてなくなりそうだった。
 ロビーでは、豊美が待っていた。そして、彼女の目は赤くなっており、表情も暗かった。
和也は豊美と一緒にICUに静かに入った。
そこには、無言でベッドに横たわっている優希の姿があった。彼女は頭に包帯を巻いて酸素マスクを着けていた。そして、その脇には、心配そうな目で彼女を見つめている彼女の母の姿があった。
和也は優希の母に軽く会釈をして彼女の傍に近寄った。そして、彼は静かに彼女の名前を呼んだ。だが、彼女の反応はなかった。
優希の手術は、彼女の医師いわく、成功だった。しかし、その晩が峠だとも言っていた。
優希の心電図の波は弱々しく流れていた。そして、彼女は寂しそうに眠っており、三人は唯黙って彼女を見守るしかなかった。
 その部屋の空気は重々しかった。そして、特有の消毒薬の匂いがそれを増長している。天井の蛍光灯も古く薄暗かった。
和也は部屋に流れている空気から縁起の悪さを感じていた。せめて、蛍光灯くらいは新品なものに取り替えてやりたかった。そして、その部屋を光で埋め尽くしたかった。そうすれば、優希も必ず元気になると彼は信じていた。

 凍りつくような闇の流れはゆっくりと進んだ。そして、零時を回っていた。
そのとき突然、優希の口元がかすかに動いた。
「和也。ごめんなさい。指輪をはめて。お願い」
 その優希の声は、蚊の鳴くような小さな囁きだった。けれども、三人の耳へは、はっきりと届いていた。だが、彼女は静かに深い眠りへまた落ちた。
母親と豊美は、涙を流して和也を見つめて促している。
 和也は涙を堪えて軽くうなずいた。彼は上着の内ポケットから大事そうに小箱を取り出した。そして、静かに蓋を開けた。
その中からは、1カラットのダイヤが現れた。そして、溢れるばかりの輝きを放った。その優しい光は、部屋一面を明るく埋め尽くしていた。
 和也の腕は震えていた。しかし、彼はそれを抑えて、ゆっくりと優希の左手の薬指にはめた。
すると、優希の顔には幸せに満ち溢れている笑顔が広がった。そして、心電図の鼓動も少し強くなった。
 その顔を見た三人は安堵した。凍えるような横殴りの吹雪の山中で、一軒の山小屋を見つけて、暖炉の前で手足をほぐしているような心持だった。後は、優希が目を開けるのを待つだけだった。三人は、そう信じていた。

 安心して見守れる時が暫く続いた。もう四時を回っている。朝になれば優希は目覚めるだろうと、和也は信じている。そうしたら、優しく、「おはよう」と声を掛けてやろうと、彼は考えている。もうすぐだと、眠さを堪えて、その瞬間に彼は備えていた。
 突然、優希の目から一滴の涙が、細い糸のように、すっと零れ落ちた。そして、心電図の波が大きく崩れ始めた。その波は、緩やかな横波から、斜めへ縦へと大きく迷走をしている。
そして、慌しく主治医が駆けつけた。看護婦も必死だった。電気ショックで、優希の体が大きく飛んだ。そして、三人は手を握って祈りを込めていた。

午前四時三十七分だった。

その部屋には、もう医師達の姿はなかった。女達が、床に泣き崩れているだけだった。
 和也は全身に力を込めて、倒れるのを堪えていた。しかし、涙は溢れて止まらなかった。ビデオを巻き戻すように、優希との思い出が、寂しく切なく流れている。そして、彼はついに崩れ落ちて、両膝を床について頭を垂れていた。
 和也の頭の中は真っ白だった。何が起こったのか理解出来なかった。いや、理解したくなかった。
もう必要のなくなった酸素マスクを外している優希の顔は、頬が緩やかに広がって、まるで笑って眠っているようだった。
 しかし、その顔を見ていた和也は、無情の闇のように、寂しく冷たい風が、心の中を流れていた。彼は胸が強く締めつけられるように苦しくなった。
和也の心には、大きな無の穴が、ぽかんと空いていた。そして、全ての活力が、そこへ落ちていた。彼の気力をどん底へと導いている。さらに、女達の啜り泣きも、それを増長した。
 和也は、もっと色々と優希を喜ばせてやりたかった。天使のような微笑を、もっと多く見たかった。もっと笑い声も聞きたかった。もう一度、あのブルーのスペシャルも、美味しそうに食べてやりたかった。そして、何よりも、優希の傍に、もっと居てやりたかった。そう思うと、和也は目を真っ赤にして、無念の思いで胸が一杯だった。
 何故、事故に遭ったのが優希なのかと和也は激しく思った。彼は代わってやりたかった。その方が楽だった。
しかし、それが運命というものだった。数多くある細い糸が、何処かで切れていなければ、優希は笑って和也の前で話していた。
 だが、多くの優希に繋がる細い糸を、和也は無意識に切っていた。もっと、優希に心を強く彼が向けていれば、その糸は切れなかった。
 和也と優希の八ヶ月間は、長いようで短かった。二人には物理的な空間の隔たりも存在していた。その為に、会う回数は制限されていた。そして、幾つかのすれ違いもあった。しかし、二人の心の気綱は時空を超えて、ときには赤い星の力を借りて、何とか繋いでいた。それは、良いことも悪いことも、二人が苦労して築いた大切な思い出だった。
 しかし、優希はもう話すことも、歩くことも、あの至福の表情で食べることも、そして、笑うこともない。
 もはや、全ては完全に終わった。ゲームオーバーだった。リセットすることは出来ない。もう、何を期待しても、望んでも、願っても、希望を持っても、優希のドラマは、新たに生まれない。それが、人の死。そして、現実だった。

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