ルビーの気まぐれ 第四話 ハットトリックをGETせよ!(1)
新宿駅西口の朝は雨上がりの川岸に立つようで、群集の激しくぶつかり合うような波が幾重にも渦を巻いていた。人の流れも早く、踵の和音が地下ホール全体を揺らしていた。
美奈子は交番の前にある丸い柱に背をもたれ、オヤジを待った。高層ビル街へ行くには定番の待ち合わせ場所だった。
オヤジはまだ居ない。早く来ないかなと、キョロキョロしながら辺りを眺める。紺色でシワのあるスーツ姿の男たちが、漫画の週刊誌を読みながら待ち合わせをしている。美奈子の隣には、OL風の女がワインレッドの携帯電話で夢中にメールを読んでいた。
交番の入口では警察官が立っている。両手を後ろに組み、胸を張っていた。顔は若く、格闘家のような体格だった。遠目でちらりと、美奈子を覗き見るような目線を放っていた。
美奈子は胸がソワソワした。悪い気分ではなかった。若い男の筋肉の香りは心地良く、自然と笑顔で微笑み返す。でも、反応がない。美奈子は何故かしらと、苦い表情を浮かべながら視線をトレースした。隣の女だった。
美奈子は鼻息を立てながら女を眺めた。年は同じくらいだ。顔も自分の方が多分勝っている。首から下を見た瞬間、美奈子は目が丸くなった。
(デカッ!)
美奈子は隣に並ぶのはヤバイと感じた。ただの引き立て役だ。耳を真っ赤にしながら柱の後ろに回った。下を向き、床のタイルを見つめた。何か、全人格を否定されたようで悔しい。でも、母から受け継いだものだ。仕方がないと、天井を仰いだ。
やっと、オヤジが左足を引きずりながら現われた。五分くらい時間を過ぎている。遅れて来たのが自分なら怒鳴られた。でも、オヤジは平気な顔をしている。ニコニコしながら、こっちだと右手を振って地下道を歩き出した。
美奈子は眉を山にし、心に霧が広がった。三メートルくらいの間隔でついていく。左足を引きずっているオヤジの後は速度が合わず、歩きにくい。でも、前に出る気はしなかった。オヤジの視線を浴びると、生気が吸い取られるからだ。
二人が地下道を抜けると、右手に険しい山脈のような高層ビル群が現われた。左手には王宮のような議事堂が偉そうにしている。まるで山麓に栄えるアルプスの小国のようだった。
真中の高層ビルに入り、展望エレベータに乗る。床に押しつけられるような圧力でスペースシャトルに乗った気分だった。外に見える人の群れも見る見るうちに蟻の行進が続くようになった。
四十六階でエレベータは止まった。飛行機から眺めるような風景で、空を散歩するようにわくわくと心が晴れた。
受付を済ませた二人は十畳ほどの会議室に通された。案内をした若い受付嬢は軽い会釈をして少し待つように言うと、部屋の外へ出ていった。二人は部屋の豪華さに気を取られ、ぽか~んと口を開けながら部屋中を眺めた。
天井からはシャンデリア風の照明が下がり、部屋の中央には大理石のローテーブルと黒い本皮張りのソファーが置かれている。正面の壁にはミレーの種をまく人が飾られていた。窓際にも茶色の光沢を放つ壷が、威張るように面を出している。壷の両側の取っ手は誘い込むように両手を広げていた。
美奈子は壷に興味を持ち、目を大きくさせながら歩き出した。ふかふかの絨毯はヒールの踵が取られ、歩きにくかった。美奈子はバランスを崩し、前へのめった。思わず、壷の取っ手をつかむ。
すると、取っ手が取れた。
美奈子は目が飛び出した。「ヤバッ」と、口を開き、冷や汗が頬を流れ落ちる。どうしようかと、首を上下させながら取っ手と壷を交互に見た。
美奈子の状況に気づいたオヤジが、頭を抱えながら小声で怒鳴った。
「馬鹿! 何をやっている。そういう壷は結構高いぞ。二千万円はしそうだ。うちの会社では払えんからな。お前が払え!」
「私も払えません! 大丈夫です。なんとかします」
美奈子は冷静な表情で取っ手を壷の中へ入れた。まだ残っている片方の取っ手を入口の方へ向けた。取っ手が外れた側は入口から見えない。
美奈子は苦笑いをしながらオヤジの手を引き、素早くソファーに腰を下ろした。すまし顔を作り、背筋を伸ばした。
オヤジも引かれた勢いで美奈子の隣に腰を落とした。心配そうな顔で、後ろを振り返って壷を見ている。
入口のドアが開いた。二人は反射的にその場に立ち上がり、頭を深々と垂らした。
「ご来社頂き、ご苦労様です」
どこかで聞いた声だった。
二人は顔を上げ、営業スマイルを輝かせながら入って来た女と名刺を交換した。女の名刺には、『白雪製菓株式会社、広報部、チーフ、木村佳代』と、書かれていた。
美奈子ははっとした。スターダスト作戦で乗り越えなければいけない最大の難関を忘れていた。お試しにはハードルが高すぎる。直樹にしておけばと後悔した。でも、高いバーをクリアしてこそ、ルビーの真価が分かる。だから、ここは敵を知る絶好のチャンスだと、佳代の顔を興味深そうにじろりと覗いた。
「あら、私の顔に何かついているかしら?」
鋭い目つきで、佳代は美奈子を上から下まで見下すように流し見ていた。
美奈子は佳代の目線に圧倒された。ちらっと目をそらし、様子を伺うように名刺を見直した。
「若いのにチーフって凄いなと思いまして」
「肩書きなんか、どうでも良いこと。この世界は実力だけよ。貴方も一流のデザイナーさんなのでしょう。啓太が熱を入れて推薦をしていたわ。それとも、ただの泥棒猫かしら」
美奈子は顔を真っ赤にしながら頬を膨らませた。瞳に炎を入れ、佳代を睨んだ。
「何か勘違いをしています。私は山中さんとはあなたが思っているような関係ではありません。それに、仕事も実力で勝負しますから、ご安心を」
女たちは身を前に乗り出し、互いの顔を見つめ合っている。テーブルの真上では、電気がショートするように激しく火花が散っていた。
堪らなくなったオヤジが、営業スマイルをビンビンに振り撒きながら二人の間に割って入った。
「いやいや、お声を掛けて頂き、ありがとうございました。早速で恐縮ではございますが、具体的なお話をお聞かせ頂ければと思います」
「そうでしたわね。まあ、お掛け下さい」
硬い表情の上に小さな微笑みを作りながら、佳代は右手でソファーを促していた。
オヤジは笑いを保ちながら腰を下ろした。
暴れ馬のような形相をした美奈子は、荒い鼻息を噴出しながら、つっ立ったままだった。両足も踏ん張っている。
慌てたオヤジは美奈子の左腕を強く引っ張った。まるでジョッキーがかかり気味の馬の手綱を引くようだった。
美奈子は何とか折り合いがついた。鼻息が抜け、馬なりで腰を下ろした。
二人の動作を見届けた佳代はソファーに座った。左手に持っている紙袋から濃紺色の菓子折りを取り出した。箱の蓋を開けてテーブルの上に置くと、九つの白い大福が正方形に並んでいた。
「詳しいお話をする前に、それを食べて下さい」
笑いを浮かべ、佳代は大きな目で二人の前に箱を差し出した。
軽く頭を下げたオヤジは、大福を手に取って口に入れた。
美奈子も大福を手にのせた。何の仕掛けがあるのだろうと、大福を回しながら観察した。でも、見た目は普通の大福だったので、一口かじった。
(マズッ!)
心の中で顔を崩した美奈子は、頬の筋肉に力を入れながら営業スマイルを何とか維持した。
イエローピタヤが中に入っていることはすぐに分かった。ただ、全体的に水ぽく、大福とは相性が悪かった。もう一つ何か、捻りが必要だった。
鼻を高くした佳代は自慢気に説明を始めた。
「どうですか。未知の味わいでしょう。主力のミックス大福の後継商品なのです。中に入っているイエローピタヤはご存知よね」
「ええ、勿論です」
美奈子は胸をつんと出した。
佳代は美奈子を見透かしたような目つきで話を続けた。
「そうでないとね、呼んだ意味がないわ。依頼したいのは、この商品のキャンペーンサイトよ。『未知の世界へ、恋人達の誘惑』と、言ったコンセプト。イエローピタヤを謎めいた感じで、若い独身のOL層を中心にプロモーションを展開したいの。どうですか、御社に出来るかしら?」
「是非、やらせて頂きたいですね。そのフルーツを使用したスイーツのWEB制作は、弊社でも手掛けた実績がございます。ご満足頂けるご提案が出来ると存じ上げます」
オヤジは体を大きく広げるように胸を出して強い眼差しで佳代の顔を見つめていた。自信に満ちた笑顔をにやりと送って刈り入れ体制に入った。
佳代は微妙な笑みを送り返した。
「それでは、サイトの企画書と、TOPページのサンプルデザインをご提出頂けるかしら」
「喜んで、すぐにでも着手させて頂きます」
仕事をものにしたような表情で、オヤジは頭を下げていた。
美奈子は顔を膨らませながら口を出した。
「あの、ちょっと待って下さい。プロモーション以前に、商品を見直しされたほうが良いのではないでしょうか?」
「えっ、何を言っているの!」
佳代は顔を苦めて頭から角を出している。
慌てたオヤジは、両手で美奈子の口を塞ごうとした。
「あっ、馬鹿! お前は黙っていろ!」
「いいえ、言わせて頂きます。そのままじゃ、何かイマイチ。全体的に水ぽく、大福としては甘さが足りない。いくら良いプロモーションを展開しても売れませんね!」
美奈子はオヤジの手を振り切り、大福を佳代の目の前に突き出した。
頭を真っ赤にしているオヤジは、美奈子の左手を強く引っ張りながら深々と頭を下げた。
「いやいや、申し訳ございません。こいつはしつけがなっていないものですから。お耳を汚しました。どうか、お忘れ下さい」
「ド素人はね、商品には口を挟まないでくれるかしら。それはね、試作品なの。だから、そのまま市場に出る訳がないでしょう。ちょっとでも、イメージをつかんで貰う為に出したのだから。現状は、『恋人達の甘さ』という、コンセプトで改良中なの。分かったら、サイトの企画だけを考えなさい!」
勢い良く立ち上がった佳代は、右手で美奈子を指していた。
オヤジは椅子から下りて土下座をしている。
「ははあ、ごもっともです。ご無礼をお許し下さい。こいつは外して弊社のエースを担当させます」
「あっ、ダメよ。ここまでコケにされたのだから、最後までつき合ってもらうわ。その人を外したら、仕事は出さないからね」
細い目線で高い所から美奈子を睨んで、佳代は不気味な笑みを浮かべていた。
オヤジは立ち上がって明るい顔で会釈した。
「分かりました。デザイナーは伊藤で進めさせて頂きます」
オヤジは美奈子の頭をつかみ、力強く下に押した。
「ほら、お前も頭を下げろ!」
美奈子は首に力を入れながら頭を下げた。胸の中にはドロドロのゼリーが湧き溢れ、悔しさで一杯だった。仕事だから耐えるしかないと、ただそれだけを念じた。
「六月の頭に持ってきて頂戴。それじゃ、よろしくね」
満足そうに大きな笑顔を浮かべて、佳代は部屋を出て行った。
美奈子は脱力を感じながら窓の外を眺めた。
海の中をイルカがのんびりと泳ぐような雲がプカプカと浮いていた。背ビレに日差しを浴びてキラキラと輝いている。美奈子を励ますように、イルカの顔は優しく笑うようだった。
美奈子は交番の前にある丸い柱に背をもたれ、オヤジを待った。高層ビル街へ行くには定番の待ち合わせ場所だった。
オヤジはまだ居ない。早く来ないかなと、キョロキョロしながら辺りを眺める。紺色でシワのあるスーツ姿の男たちが、漫画の週刊誌を読みながら待ち合わせをしている。美奈子の隣には、OL風の女がワインレッドの携帯電話で夢中にメールを読んでいた。
交番の入口では警察官が立っている。両手を後ろに組み、胸を張っていた。顔は若く、格闘家のような体格だった。遠目でちらりと、美奈子を覗き見るような目線を放っていた。
美奈子は胸がソワソワした。悪い気分ではなかった。若い男の筋肉の香りは心地良く、自然と笑顔で微笑み返す。でも、反応がない。美奈子は何故かしらと、苦い表情を浮かべながら視線をトレースした。隣の女だった。
美奈子は鼻息を立てながら女を眺めた。年は同じくらいだ。顔も自分の方が多分勝っている。首から下を見た瞬間、美奈子は目が丸くなった。
(デカッ!)
美奈子は隣に並ぶのはヤバイと感じた。ただの引き立て役だ。耳を真っ赤にしながら柱の後ろに回った。下を向き、床のタイルを見つめた。何か、全人格を否定されたようで悔しい。でも、母から受け継いだものだ。仕方がないと、天井を仰いだ。
やっと、オヤジが左足を引きずりながら現われた。五分くらい時間を過ぎている。遅れて来たのが自分なら怒鳴られた。でも、オヤジは平気な顔をしている。ニコニコしながら、こっちだと右手を振って地下道を歩き出した。
美奈子は眉を山にし、心に霧が広がった。三メートルくらいの間隔でついていく。左足を引きずっているオヤジの後は速度が合わず、歩きにくい。でも、前に出る気はしなかった。オヤジの視線を浴びると、生気が吸い取られるからだ。
二人が地下道を抜けると、右手に険しい山脈のような高層ビル群が現われた。左手には王宮のような議事堂が偉そうにしている。まるで山麓に栄えるアルプスの小国のようだった。
真中の高層ビルに入り、展望エレベータに乗る。床に押しつけられるような圧力でスペースシャトルに乗った気分だった。外に見える人の群れも見る見るうちに蟻の行進が続くようになった。
四十六階でエレベータは止まった。飛行機から眺めるような風景で、空を散歩するようにわくわくと心が晴れた。
受付を済ませた二人は十畳ほどの会議室に通された。案内をした若い受付嬢は軽い会釈をして少し待つように言うと、部屋の外へ出ていった。二人は部屋の豪華さに気を取られ、ぽか~んと口を開けながら部屋中を眺めた。
天井からはシャンデリア風の照明が下がり、部屋の中央には大理石のローテーブルと黒い本皮張りのソファーが置かれている。正面の壁にはミレーの種をまく人が飾られていた。窓際にも茶色の光沢を放つ壷が、威張るように面を出している。壷の両側の取っ手は誘い込むように両手を広げていた。
美奈子は壷に興味を持ち、目を大きくさせながら歩き出した。ふかふかの絨毯はヒールの踵が取られ、歩きにくかった。美奈子はバランスを崩し、前へのめった。思わず、壷の取っ手をつかむ。
すると、取っ手が取れた。
美奈子は目が飛び出した。「ヤバッ」と、口を開き、冷や汗が頬を流れ落ちる。どうしようかと、首を上下させながら取っ手と壷を交互に見た。
美奈子の状況に気づいたオヤジが、頭を抱えながら小声で怒鳴った。
「馬鹿! 何をやっている。そういう壷は結構高いぞ。二千万円はしそうだ。うちの会社では払えんからな。お前が払え!」
「私も払えません! 大丈夫です。なんとかします」
美奈子は冷静な表情で取っ手を壷の中へ入れた。まだ残っている片方の取っ手を入口の方へ向けた。取っ手が外れた側は入口から見えない。
美奈子は苦笑いをしながらオヤジの手を引き、素早くソファーに腰を下ろした。すまし顔を作り、背筋を伸ばした。
オヤジも引かれた勢いで美奈子の隣に腰を落とした。心配そうな顔で、後ろを振り返って壷を見ている。
入口のドアが開いた。二人は反射的にその場に立ち上がり、頭を深々と垂らした。
「ご来社頂き、ご苦労様です」
どこかで聞いた声だった。
二人は顔を上げ、営業スマイルを輝かせながら入って来た女と名刺を交換した。女の名刺には、『白雪製菓株式会社、広報部、チーフ、木村佳代』と、書かれていた。
美奈子ははっとした。スターダスト作戦で乗り越えなければいけない最大の難関を忘れていた。お試しにはハードルが高すぎる。直樹にしておけばと後悔した。でも、高いバーをクリアしてこそ、ルビーの真価が分かる。だから、ここは敵を知る絶好のチャンスだと、佳代の顔を興味深そうにじろりと覗いた。
「あら、私の顔に何かついているかしら?」
鋭い目つきで、佳代は美奈子を上から下まで見下すように流し見ていた。
美奈子は佳代の目線に圧倒された。ちらっと目をそらし、様子を伺うように名刺を見直した。
「若いのにチーフって凄いなと思いまして」
「肩書きなんか、どうでも良いこと。この世界は実力だけよ。貴方も一流のデザイナーさんなのでしょう。啓太が熱を入れて推薦をしていたわ。それとも、ただの泥棒猫かしら」
美奈子は顔を真っ赤にしながら頬を膨らませた。瞳に炎を入れ、佳代を睨んだ。
「何か勘違いをしています。私は山中さんとはあなたが思っているような関係ではありません。それに、仕事も実力で勝負しますから、ご安心を」
女たちは身を前に乗り出し、互いの顔を見つめ合っている。テーブルの真上では、電気がショートするように激しく火花が散っていた。
堪らなくなったオヤジが、営業スマイルをビンビンに振り撒きながら二人の間に割って入った。
「いやいや、お声を掛けて頂き、ありがとうございました。早速で恐縮ではございますが、具体的なお話をお聞かせ頂ければと思います」
「そうでしたわね。まあ、お掛け下さい」
硬い表情の上に小さな微笑みを作りながら、佳代は右手でソファーを促していた。
オヤジは笑いを保ちながら腰を下ろした。
暴れ馬のような形相をした美奈子は、荒い鼻息を噴出しながら、つっ立ったままだった。両足も踏ん張っている。
慌てたオヤジは美奈子の左腕を強く引っ張った。まるでジョッキーがかかり気味の馬の手綱を引くようだった。
美奈子は何とか折り合いがついた。鼻息が抜け、馬なりで腰を下ろした。
二人の動作を見届けた佳代はソファーに座った。左手に持っている紙袋から濃紺色の菓子折りを取り出した。箱の蓋を開けてテーブルの上に置くと、九つの白い大福が正方形に並んでいた。
「詳しいお話をする前に、それを食べて下さい」
笑いを浮かべ、佳代は大きな目で二人の前に箱を差し出した。
軽く頭を下げたオヤジは、大福を手に取って口に入れた。
美奈子も大福を手にのせた。何の仕掛けがあるのだろうと、大福を回しながら観察した。でも、見た目は普通の大福だったので、一口かじった。
(マズッ!)
心の中で顔を崩した美奈子は、頬の筋肉に力を入れながら営業スマイルを何とか維持した。
イエローピタヤが中に入っていることはすぐに分かった。ただ、全体的に水ぽく、大福とは相性が悪かった。もう一つ何か、捻りが必要だった。
鼻を高くした佳代は自慢気に説明を始めた。
「どうですか。未知の味わいでしょう。主力のミックス大福の後継商品なのです。中に入っているイエローピタヤはご存知よね」
「ええ、勿論です」
美奈子は胸をつんと出した。
佳代は美奈子を見透かしたような目つきで話を続けた。
「そうでないとね、呼んだ意味がないわ。依頼したいのは、この商品のキャンペーンサイトよ。『未知の世界へ、恋人達の誘惑』と、言ったコンセプト。イエローピタヤを謎めいた感じで、若い独身のOL層を中心にプロモーションを展開したいの。どうですか、御社に出来るかしら?」
「是非、やらせて頂きたいですね。そのフルーツを使用したスイーツのWEB制作は、弊社でも手掛けた実績がございます。ご満足頂けるご提案が出来ると存じ上げます」
オヤジは体を大きく広げるように胸を出して強い眼差しで佳代の顔を見つめていた。自信に満ちた笑顔をにやりと送って刈り入れ体制に入った。
佳代は微妙な笑みを送り返した。
「それでは、サイトの企画書と、TOPページのサンプルデザインをご提出頂けるかしら」
「喜んで、すぐにでも着手させて頂きます」
仕事をものにしたような表情で、オヤジは頭を下げていた。
美奈子は顔を膨らませながら口を出した。
「あの、ちょっと待って下さい。プロモーション以前に、商品を見直しされたほうが良いのではないでしょうか?」
「えっ、何を言っているの!」
佳代は顔を苦めて頭から角を出している。
慌てたオヤジは、両手で美奈子の口を塞ごうとした。
「あっ、馬鹿! お前は黙っていろ!」
「いいえ、言わせて頂きます。そのままじゃ、何かイマイチ。全体的に水ぽく、大福としては甘さが足りない。いくら良いプロモーションを展開しても売れませんね!」
美奈子はオヤジの手を振り切り、大福を佳代の目の前に突き出した。
頭を真っ赤にしているオヤジは、美奈子の左手を強く引っ張りながら深々と頭を下げた。
「いやいや、申し訳ございません。こいつはしつけがなっていないものですから。お耳を汚しました。どうか、お忘れ下さい」
「ド素人はね、商品には口を挟まないでくれるかしら。それはね、試作品なの。だから、そのまま市場に出る訳がないでしょう。ちょっとでも、イメージをつかんで貰う為に出したのだから。現状は、『恋人達の甘さ』という、コンセプトで改良中なの。分かったら、サイトの企画だけを考えなさい!」
勢い良く立ち上がった佳代は、右手で美奈子を指していた。
オヤジは椅子から下りて土下座をしている。
「ははあ、ごもっともです。ご無礼をお許し下さい。こいつは外して弊社のエースを担当させます」
「あっ、ダメよ。ここまでコケにされたのだから、最後までつき合ってもらうわ。その人を外したら、仕事は出さないからね」
細い目線で高い所から美奈子を睨んで、佳代は不気味な笑みを浮かべていた。
オヤジは立ち上がって明るい顔で会釈した。
「分かりました。デザイナーは伊藤で進めさせて頂きます」
オヤジは美奈子の頭をつかみ、力強く下に押した。
「ほら、お前も頭を下げろ!」
美奈子は首に力を入れながら頭を下げた。胸の中にはドロドロのゼリーが湧き溢れ、悔しさで一杯だった。仕事だから耐えるしかないと、ただそれだけを念じた。
「六月の頭に持ってきて頂戴。それじゃ、よろしくね」
満足そうに大きな笑顔を浮かべて、佳代は部屋を出て行った。
美奈子は脱力を感じながら窓の外を眺めた。
海の中をイルカがのんびりと泳ぐような雲がプカプカと浮いていた。背ビレに日差しを浴びてキラキラと輝いている。美奈子を励ますように、イルカの顔は優しく笑うようだった。
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有り難う
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Re: 有り難う
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