ルビーの気まぐれ 第八話 クリスマスディナーの攻防(1)
九月も末になり、何かがっくりときた。気候は大分涼しくなって体は楽になった。でも、懐は寂しかった。月末の給料日を過ぎているのに振込みがなかった。一ヶ月遅れるらしい。けれども、それもどうも怪しかった。
白雪製菓の案件は結局納品出来なかった。新聞を見てからのアクションだったので、オフィースは既に閉鎖されていた。債権者も多数詰め寄せており、担当者に会える訳もなかった。顧問弁護士を通じて管財人と交渉はしている。でも、納品前だったこともあり、芳しくなく、回収の見通しは不可能に近かった。
それより、事態を知った銀行が融資を打ち切ってきた。美奈子の会社は寝耳に水で一番こたえた。銀行の融資で社員の給料を回し、自転車操業をしていたからだ。銀行は連鎖倒産を予想し、早めに手を打ってきたのだろう。
給料日の朝礼で、オヤジは皆に給料の遅配を告げた。いつもの威勢はオヤジにはなく、ただ頭を下げるばかりだった。普段の鬱憤を晴らすように、殆どの者はオヤジに罵声を浴びせていた。暴動でも起きるような雰囲気だった。でも、川村が皆を抑えつけ、騒動には至らなかった。
けれども、大部分の人間は一週間のうちに辞表をオヤジに叩きつけ、会社を去っていった。残ったのは、川村と美奈子、渚に沙織だけだった。
五人だけのオフィースは静過ぎて寂しさを倍増させた。仕事に集中出来て良いかもしれない。でも、する仕事は少なく、美奈子は窓の外を見つめることが多かった。青いキャンパスには倒産という二文字ばかりが浮かび、溜息をつく日々が続いた。
オヤジは壊れたロボットのようで、腕を組みながら一日中天井をぼうっと見つめていた。やる気は感じられず、戦力外だった。
美奈子の隣で、渚は転職雑誌と睨めっこをしていた。既に、会社に見切りをつけているようで、こちらも自由契約選手に近かった。
川村は大阪の案件を黙々とこなしていた。次月に納品予定で、五人の給料は何とかなりそうだった。その後の仕事の予定はなかったが、次月を食い繋がなければ会社の未来はなかった。手の早い沙織をアシスタントに使い、川村は猛然と追い込みをかけていた。沙織も川村の隣の席に移り、楽しそうに手を動かしていた。
美奈子は辞めた者から引き継いだ残作業をこなしている。細かい案件ばかりでお金になる仕事は少なく、一日を過ごすのも手持ち無沙汰だった。
「ねえねえ、美奈子。これなんかどうかな?」
広げた転職雑誌を見せながら、渚が美奈子の肩に寄ってきた。
転職雑誌には、『貴方のアートセンスで日ノ本一の会社にして下さい。株式会社サンライトアーツ』と、書かれていた。
首を傾げながら転職雑誌を眺め、美奈子は考え込んだ。
「そうね、あまり良いキャッチとは思えないね」
「違うわよ。キャッチコピーの話じゃないの。受けてみようかなと、ちょっと思ってさ・・・・・・」
軽く首を横に振りながら、渚は目を伏せていた。
美奈子は少し音を外した声を出した。
「えっ、渚が受けるの。アートセンスあったけ?」
「失礼なヤツ! あたしだって、少しくらいなら大丈夫よ。美奈子のセンスには負けるけどさ」
顔を起こした渚はむっとした表情で美奈子を見た。
美奈子はやや身を引きながら渚の顔を覗いた。
「でも、日本一の会社にしろって。少しくらいのセンスじゃ無理でしょう」
「日本一たって色々あるでしょう。お笑い系日本一なら自信があるけれどさ」
大きな胸を張り出しながら、渚はにやりと頬を光らせた。
美奈子は全身を揺らし、大きく噴出した。
「だから、このキャッチはイマイチなのよ。渚みたいに勘違いした人も受けに来るでしょう。多分、日ノ本一の高収益会社が正解だと思うな」
「あたしだって、そんなことくらい分かるわよ。ちょっと冗談を言ってみただけ、そう真面目に考えないでくれる」
トラフグのように頬を膨らませた渚は、美奈子の顔を睨んだ。
美奈子は溶鉱炉のように顔を燃やした。ぷいっと横にそっぽを向き、大きな声で怒鳴った。
「渚が相談してきたから、真剣に考えたんでしょう!」
「むきにならないの。そんなんじゃ、どこの会社も雇ってくれないよ」
渚は少し冷めた表情で美奈子の顔を覗き込んだ。
美奈子は渚を見つめながら胸をつんと出した。
「私は辞めない。ここで頑張るの。絶対に再建してみせる!」
「それこそ、どう考えても無理でしょう。大将はあの通りやる気ゼロ。兵隊もいなくなった。これで何をやれって言うの。死に体という言葉が日本一ふさわしい会社だと思わない」
諭すような笑いを浮かべた渚は、上から美奈子の瞳を覗いた。
美奈子は両腕で小さな胸を抱えながら天井を見上げた。
「思わないね。参院選で敗れた大泉内閣のほうが死に体でしょう。大将がダメでもまだ川村さんがいる。川村さんが頑張る限り、私はお傍でお手伝いしたい!」
「川村さん川村さんって、山中さんはどうしたのよ?」
意地悪そうな目つきをした渚は、笑いを浮かべながら美奈子を眺めていた。
美奈子は渚から目をそらし、呟いた。
「あの人はただのクライアントさん。お仕事の関係で仲良くしていただけ」
「ふう~ん、お仕事ね。美奈子って、お仕事でSEXするの?」
渚は目を細めながら横目で美奈子をちらっと見つめていた。
耳の縁を燃える夕日のように腫らしながら、美奈子は怒り出した。
「何よ、変なことを言わないで!」
「あっ、やっちゃたんだ。カマかけただけなのに。美奈子ってすぐむきになるから、分かるのよね。いいなあ、一流会社の格好いい人に、あたしも一度でいいから抱かれてみたい。美奈子は幸せ者だね」
からかうような声で、渚は大きな体を揺らしながら天井を見上げ、バラの花をいくつも浮かべるように微笑んでいた。
美奈子は困惑した表情を作り、渚の口を右手で塞ごうとした。
「ちょっと、勝手に想像しないでよ。大体、渚は山中さんに会ったことないでしょう。格好なんかは良くないよ。あの人はただの失業者。それに、自宅に電話をしても全然通じないからね」
「ほらね、ついに尻尾を出した。何で自宅の電話番号を知っているの。お天頭様は誤魔化せても、あたいの背中の桜吹雪は、全てお見通しだ!」
上機嫌で大きく茶化しながら、渚は背を向けて上着を落とすマネをした。
美奈子は思わず噴出し、渚の背中を軽く叩いた。
「人生はたまには色々と寄り道があるの。会社も色々だし。デザイナーも色々だよね。やっぱり渚は日本一のお笑い系デザイナーだよ。サンライトアーツ受けてみれば、きっと採用してくれる。だって、面白いから」
「本当! じゃあ、あたし受けてみようかな。あれ、何の話をしていたっけ?」
振り向いた渚は瞳を輝かせながら喜んでいた。
美奈子は澄まし顔で渚を見つめた。
「転職の話でしょう」
「そうよね。あたし頑張るわ」
頬を伸ばしながら、渚は右手を握り締めた。
美奈子はほっとしながらパソコンをいじり始めた。渚の野生的な感にはどきっとさせられた。危なかったと思った。山中とのことは、初夏の頃の良い思い出に過ぎなかった。あまりほじくり返されても心が痛むだけだった。
ただ、最後をはっきりとさせる前に自然消滅したことが、美奈子は心残りだった。大型倒産の渦の中では身動きが取れず、どうしようもなかった。
でも、倒産を知った後、やはり気になって何回か電話をした。けれども、「この電話は現在使われておりません」だった。ちょっぴり心配になった。多分、小樽の実家にでも戻ったのだろうと美奈子は思うことにした。その方が気楽だった。だから、渚に蒸し返されるのは堪らなく辛かった。
ふと、美奈子は直樹のことを思い出した。「現在使われておりません」の後は、直樹の死を知った。山中も同じパターンだ。それはヤバッと、美奈子は眉を山にした。
顔を顰めながら深く考え込んだ美奈子は、暗闇の中に一筋の月光が差し込んだようにはっとし、二人の共通点に気づいた。二人ともルビーの光りを浴びせている。そして、ルビーを買った占い師の「こちらから断ると、その彼氏には途轍もない災いが訪れる」という言葉を思い出した。
そうすると、山中はやはり死んだのか。そう思った美奈子は、背筋から氷が滑り落ちるようにぞっとした。でも、大型倒産は一個人の死以上のインパクトだ。会社が死んだのだから、身代わりになったのかもしれない。そうあって欲しい。きっとそうだ。そう思うしか、美奈子には選択肢がなかった。
白雪製菓の案件は結局納品出来なかった。新聞を見てからのアクションだったので、オフィースは既に閉鎖されていた。債権者も多数詰め寄せており、担当者に会える訳もなかった。顧問弁護士を通じて管財人と交渉はしている。でも、納品前だったこともあり、芳しくなく、回収の見通しは不可能に近かった。
それより、事態を知った銀行が融資を打ち切ってきた。美奈子の会社は寝耳に水で一番こたえた。銀行の融資で社員の給料を回し、自転車操業をしていたからだ。銀行は連鎖倒産を予想し、早めに手を打ってきたのだろう。
給料日の朝礼で、オヤジは皆に給料の遅配を告げた。いつもの威勢はオヤジにはなく、ただ頭を下げるばかりだった。普段の鬱憤を晴らすように、殆どの者はオヤジに罵声を浴びせていた。暴動でも起きるような雰囲気だった。でも、川村が皆を抑えつけ、騒動には至らなかった。
けれども、大部分の人間は一週間のうちに辞表をオヤジに叩きつけ、会社を去っていった。残ったのは、川村と美奈子、渚に沙織だけだった。
五人だけのオフィースは静過ぎて寂しさを倍増させた。仕事に集中出来て良いかもしれない。でも、する仕事は少なく、美奈子は窓の外を見つめることが多かった。青いキャンパスには倒産という二文字ばかりが浮かび、溜息をつく日々が続いた。
オヤジは壊れたロボットのようで、腕を組みながら一日中天井をぼうっと見つめていた。やる気は感じられず、戦力外だった。
美奈子の隣で、渚は転職雑誌と睨めっこをしていた。既に、会社に見切りをつけているようで、こちらも自由契約選手に近かった。
川村は大阪の案件を黙々とこなしていた。次月に納品予定で、五人の給料は何とかなりそうだった。その後の仕事の予定はなかったが、次月を食い繋がなければ会社の未来はなかった。手の早い沙織をアシスタントに使い、川村は猛然と追い込みをかけていた。沙織も川村の隣の席に移り、楽しそうに手を動かしていた。
美奈子は辞めた者から引き継いだ残作業をこなしている。細かい案件ばかりでお金になる仕事は少なく、一日を過ごすのも手持ち無沙汰だった。
「ねえねえ、美奈子。これなんかどうかな?」
広げた転職雑誌を見せながら、渚が美奈子の肩に寄ってきた。
転職雑誌には、『貴方のアートセンスで日ノ本一の会社にして下さい。株式会社サンライトアーツ』と、書かれていた。
首を傾げながら転職雑誌を眺め、美奈子は考え込んだ。
「そうね、あまり良いキャッチとは思えないね」
「違うわよ。キャッチコピーの話じゃないの。受けてみようかなと、ちょっと思ってさ・・・・・・」
軽く首を横に振りながら、渚は目を伏せていた。
美奈子は少し音を外した声を出した。
「えっ、渚が受けるの。アートセンスあったけ?」
「失礼なヤツ! あたしだって、少しくらいなら大丈夫よ。美奈子のセンスには負けるけどさ」
顔を起こした渚はむっとした表情で美奈子を見た。
美奈子はやや身を引きながら渚の顔を覗いた。
「でも、日本一の会社にしろって。少しくらいのセンスじゃ無理でしょう」
「日本一たって色々あるでしょう。お笑い系日本一なら自信があるけれどさ」
大きな胸を張り出しながら、渚はにやりと頬を光らせた。
美奈子は全身を揺らし、大きく噴出した。
「だから、このキャッチはイマイチなのよ。渚みたいに勘違いした人も受けに来るでしょう。多分、日ノ本一の高収益会社が正解だと思うな」
「あたしだって、そんなことくらい分かるわよ。ちょっと冗談を言ってみただけ、そう真面目に考えないでくれる」
トラフグのように頬を膨らませた渚は、美奈子の顔を睨んだ。
美奈子は溶鉱炉のように顔を燃やした。ぷいっと横にそっぽを向き、大きな声で怒鳴った。
「渚が相談してきたから、真剣に考えたんでしょう!」
「むきにならないの。そんなんじゃ、どこの会社も雇ってくれないよ」
渚は少し冷めた表情で美奈子の顔を覗き込んだ。
美奈子は渚を見つめながら胸をつんと出した。
「私は辞めない。ここで頑張るの。絶対に再建してみせる!」
「それこそ、どう考えても無理でしょう。大将はあの通りやる気ゼロ。兵隊もいなくなった。これで何をやれって言うの。死に体という言葉が日本一ふさわしい会社だと思わない」
諭すような笑いを浮かべた渚は、上から美奈子の瞳を覗いた。
美奈子は両腕で小さな胸を抱えながら天井を見上げた。
「思わないね。参院選で敗れた大泉内閣のほうが死に体でしょう。大将がダメでもまだ川村さんがいる。川村さんが頑張る限り、私はお傍でお手伝いしたい!」
「川村さん川村さんって、山中さんはどうしたのよ?」
意地悪そうな目つきをした渚は、笑いを浮かべながら美奈子を眺めていた。
美奈子は渚から目をそらし、呟いた。
「あの人はただのクライアントさん。お仕事の関係で仲良くしていただけ」
「ふう~ん、お仕事ね。美奈子って、お仕事でSEXするの?」
渚は目を細めながら横目で美奈子をちらっと見つめていた。
耳の縁を燃える夕日のように腫らしながら、美奈子は怒り出した。
「何よ、変なことを言わないで!」
「あっ、やっちゃたんだ。カマかけただけなのに。美奈子ってすぐむきになるから、分かるのよね。いいなあ、一流会社の格好いい人に、あたしも一度でいいから抱かれてみたい。美奈子は幸せ者だね」
からかうような声で、渚は大きな体を揺らしながら天井を見上げ、バラの花をいくつも浮かべるように微笑んでいた。
美奈子は困惑した表情を作り、渚の口を右手で塞ごうとした。
「ちょっと、勝手に想像しないでよ。大体、渚は山中さんに会ったことないでしょう。格好なんかは良くないよ。あの人はただの失業者。それに、自宅に電話をしても全然通じないからね」
「ほらね、ついに尻尾を出した。何で自宅の電話番号を知っているの。お天頭様は誤魔化せても、あたいの背中の桜吹雪は、全てお見通しだ!」
上機嫌で大きく茶化しながら、渚は背を向けて上着を落とすマネをした。
美奈子は思わず噴出し、渚の背中を軽く叩いた。
「人生はたまには色々と寄り道があるの。会社も色々だし。デザイナーも色々だよね。やっぱり渚は日本一のお笑い系デザイナーだよ。サンライトアーツ受けてみれば、きっと採用してくれる。だって、面白いから」
「本当! じゃあ、あたし受けてみようかな。あれ、何の話をしていたっけ?」
振り向いた渚は瞳を輝かせながら喜んでいた。
美奈子は澄まし顔で渚を見つめた。
「転職の話でしょう」
「そうよね。あたし頑張るわ」
頬を伸ばしながら、渚は右手を握り締めた。
美奈子はほっとしながらパソコンをいじり始めた。渚の野生的な感にはどきっとさせられた。危なかったと思った。山中とのことは、初夏の頃の良い思い出に過ぎなかった。あまりほじくり返されても心が痛むだけだった。
ただ、最後をはっきりとさせる前に自然消滅したことが、美奈子は心残りだった。大型倒産の渦の中では身動きが取れず、どうしようもなかった。
でも、倒産を知った後、やはり気になって何回か電話をした。けれども、「この電話は現在使われておりません」だった。ちょっぴり心配になった。多分、小樽の実家にでも戻ったのだろうと美奈子は思うことにした。その方が気楽だった。だから、渚に蒸し返されるのは堪らなく辛かった。
ふと、美奈子は直樹のことを思い出した。「現在使われておりません」の後は、直樹の死を知った。山中も同じパターンだ。それはヤバッと、美奈子は眉を山にした。
顔を顰めながら深く考え込んだ美奈子は、暗闇の中に一筋の月光が差し込んだようにはっとし、二人の共通点に気づいた。二人ともルビーの光りを浴びせている。そして、ルビーを買った占い師の「こちらから断ると、その彼氏には途轍もない災いが訪れる」という言葉を思い出した。
そうすると、山中はやはり死んだのか。そう思った美奈子は、背筋から氷が滑り落ちるようにぞっとした。でも、大型倒産は一個人の死以上のインパクトだ。会社が死んだのだから、身代わりになったのかもしれない。そうあって欲しい。きっとそうだ。そう思うしか、美奈子には選択肢がなかった。
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