FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ルビーの気まぐれ 第八話 クリスマスディナーの攻防(2)

 十月初旬の新宿の街は過ごし易い気候だった。空は摩周湖の水面のように澄み切り、太陽を広く抱え込むように高かった。レッドスターホテル前の歩道のケヤキは緑が薄くなり、気の早い葉は涼しい風の音を聞きながら黄色く身を染め始めていた。
 美奈子はホテルの玄関前で立ち止まり、ぼうっと歩道のケヤキを眺めている。僅かに残る濃い緑の葉を捜し、じっと見つめた。春の調子の良かった頃を思い出して大きく溜息をついた。
 別に悪い話ではなかった。クリスマスイベントのコンテンツ制作の打ち合わせの件で、星野部長から呼ばれただけだった。会社の状態を考えれば、むしろ良い話だった。
 ただ振り返り考えてみれば、良かったことも悪かったことも、全てはホテルから始まり終わったように思えた。人生の乗換駅のような存在で再び分岐点に入っていかなければならないことを、学習した脳が直感的に感じた。そして、ケヤキの葉の卵のような形から何かが始まることを連想した。
 深く息を吸い込んだ美奈子は玄関の中に入り、ロビーを歩き出した。天井の明かりはいつもと変わりなく、穏やかなオレンジ色の光りで床を優しく照らしていた。
 ロビーの真中では、東北のなまりを響かせた三人のおばさんが床に大きな荷物を置いて、夕食をホテルにするか高層ビル最上階のレストランまで繰り出すかで、ガイドブックを見ながら喧しい声で楽しそうに相談をしていた。
 おばさんたちの脇を通り過ぎ、奥の黒いソファーの近くで、美奈子は急に足を止め、はっとし、頬が凍りついた。女がフロント脇の事務室から出てきたからだった。
「お久しぶりね」
「えっ、あっ、そのせつは色々とお世話になりました」
「私は世話なんかしていないわ。恋人を盗まれただけ。それより、今ここにいるの」
 女はハンドバックから取り出した名刺を、叩きつけるように美奈子の小さな胸に押しつけた。薄ら笑いを浮かべた顔の下地に血みどろのグラデーションを掛けた表情を流しながら、女は足早に玄関の外へ消えた。
 渡された名刺を、美奈子は落とさないように両手で抱え込むのが精一杯だった。ドキドキさせた心臓のポンプで脳みそをフル回転させた。でも、言い返す言葉が見つからない。ただ静に見送るしかなかった。
 ドアの開け閉めで玄関から流れ込んできた涼しい風が火照った頬を冷ますと、漸く美奈子は名刺を見た。女の名刺には、『株式会社サンライトアーツ、執行役員、デジタル制作部長、木村佳代』と、書かれていた。美奈子の心臓はオーバーヒートしそうなくらいに熱くなった。
 気を取り直した美奈子は名刺をハンドバックにしまい、フロント脇の事務室に入った。
一番奥の大きい机で書類に印を押していた星野が美奈子に気づき、顔を上げた。目尻を垂らしながら笑顔で、脇の打ち合わせ机を端が朱で染まったハンコで星野は指した。
 美奈子は営業スマイルを作り、軽く一礼した。三人の事務員が座っている後ろの棚との間を通り、打ち合わせ机に腰を下ろした。
 星野も数枚の書類に印を押し終わると、机の上の処理済のトレーに軽く書類を投げ込み、打ち合わせ机に移った。
「何か元気なさそうだね。彼氏とでも喧嘩したのかな?」
「急に涼しくなったものですから、ちょっと体調崩しただけです。ご心配頂いて、ありがとうございます」
 コメカミに力が入るのを抑えながら、美奈子は頬の筋肉を突っ張らせ、営業スマイルを維持するのに苦労した。女に元気がないと、すぐ彼氏と揉めていると発想する思考回路が許せなかった。年がら年中男のことを考えている訳ではない。仕事をしに来たのだと、心の中で腹を燃やした。取り敢えず、風邪とでも誤魔化しておけばやり過ごせるだろうと美奈子は思った。
 心配そうに、星野はジロジロと美奈子の顔を眺めていた。一旦、自分の席に戻り、引き出しを開け、透明な薬のびんを取り出した。びんの中には、にぶい紅色に染まった丸薬が半分くらい詰まっている。
「それはいけないね。僕の風邪薬を上げようか。ばあさん秘伝のオリジナル配合だから、もの凄く効くよ。漢方だから副作用の心配もないし、持って帰りなさい」
「あはっ、漢方は経験がないので遠慮しておきます。お医者さんからもお薬なら貰っているし、お気持ちだけ頂いておきますね。それより、クリスマスイベントのお話をお願いします」
 色からして怪しい。何に効くのかも良く分からない。成分だって不明な薬を、そう簡単に飲める訳がない。まして、素人のおばあさんが趣味で配合した薬など飲んだら、死んでも文句は言えないだろうと、美奈子は背筋を震わした。
 残念そうな顔を浮かべた星野は、名残惜しそうにびんを見つめ、引き出しに戻した。ゆっくりと歩き出し、打ち合わせ机に戻って座った。
「そうだったね。例年のごとく、カップルディナーがメイン。但し、メニューは豚主体でいくよ。牛丼屋も牛を止めて豚丼を出すくらいだから、流行物は積極的に取り入れないとね」
「それじゃ、鹿児島に取材ですね。可愛い黒豚ちゃんを沢山撮って半ぼかしでページの下地にしたら、いい感じになると思います」
「素人の発想だね。トン肉といえば黒豚。そんなの誰でも思いつく。旬は岩手。白金、プラチナポークの時代だよ!」
「プラチナ・・・・・・、ですか?」
「何だ、知らないの? 遅れているね」
「はあ・・・・・・」
「黒豚と同じバークシャーを父親に持つけれど、色は白。母親はランドレースと大ヨークシャーの混血。だから、三つの血統が絶妙に混じって血の和音を響かせるのだよ。肉の味わいは、舌を心地良く揺するように至福でジューシー。三種の奇跡としか言いようがなく、まさに価値はプラチナ級だね!」
 椅子に深く腰を掛けた星野は、熱い眼差しを美奈子に送りながら得意そうな口調で語っていた。
 美奈子は豚の血統の話など良く分からなかった。そんな難しいことを考えながら食べたのでは、味を楽しむどころではない。それ以上の話を聞いてもコメカミの血管が切れそうだった。それより、岩手と言えば花巻。別の楽しみもあるかなと思い始め、スマイルの保存に美奈子は全力を注いだ。
「分かりました。花巻温泉にも浸かりたかったので、ちょうど良かったです。ところで、メニューはどうなるのですか?」
「勿論、豚づくしだよ。生ハムのサラダから始まり、皇帝肉と言われるほど貴重でとろける味の頬肉。これをふんだんに使ったドロドロの煮込みシチューが二品目。どうだい、聞いただけでほっぺたが零れ落ちそうだろう。メインディッシュはアツアツのモッツァレラ・チーズを衣に封じ込めたロースのカツレツの予定なんだ」
 無意識に垂れ始めたよだれを、星野は右手で拭っている。
 美奈子もお腹が膨れそうになり、ボリュームたっぷりで豪勢な内容だと思った。でも、コストも素晴らしいだろうと考えた。はっと、美奈子は前回の失敗が急に気になり出し、スマイルの維持は崩壊した。
「あの~、お値段は?」
「ああ、三百円の予定でいくよ。春のイベントで大うけだったからね。常連さんからも期待されているし、やらない訳には行かなくなったよ。但し、今回は百組限定にするから、そこは間違えないようにね」
「了解しました。今度はバッチリです!」
 とっておきのにこちゃんスマイルを作り、美奈子は胸をつんと出した。
 星野は天井を見上げながら呟いた。
「ところで、言い難いけれど、今回はコンペということで」
「えっ、お約束が違います!」
 思わず美奈子は両手を机の上について立ち上がり、とうとう般若の仮面を浮かべた。
 星野は両手を合掌し、軽く頭を下げた。
「だから、言い難いのだよ。急に支配人から横槍が入ってね。サンライトアーツの社長さんが大学時代の友人らしい。僕も頑張ったけれど、コンペにするのがやっとだったよ」
「うちはほとんどダメってことじゃないですか!」
「伊藤さんのデザインセンスなら、そんなことはないと思う。支配人をうならせるデザイン案を持ってきてね。二週間後だからよろしく」
 大黒様のように大きなほっぺを垂らした星野は、暖かい瞳で美奈子を眺めていた。
 美奈子は大きく溜息をつき、「がんばります」と、軽く一礼をし、事務室を出た。
 ロビーの床を照らすオレンジ色の明かりも薄暗くなり、人の姿も見当たらなかった。玄関に向かう美奈子のヒールから流れ出る単調な音だけが、ロビー全体を寂しそうに包んでいく。フロントから怪しい光りで見つめる黒い魔術師の姿は、美奈子には見えなかった。

ネット小説ランキングに投票 恋愛ファンタジー小説サーチ オンライン小説検索・小説の匣へ
スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

Keyword : 小説 恋愛 ルビー

コメントの投稿

Secret

プロフィール

夢野広志(むのひろし)

Author:夢野広志(むのひろし)
小説の夢見へようこそ♪
オリジナルの恋愛小説を書いています。
不思議な宝石の物語を掲載中です。

目次
リンク
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
ランキング
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。